2002 会報担当が考える英文法(時制、助動詞、冠詞)、ルターの冒険の前書き2012.05.24 ルター、学校へ行く(相談員4年目+サポート校2年目 その11) 時制(Tense)は2つ今日は社会人の方を含むクラス(10名+6名ぐらい)でお話したのは,時制(Tense)は2つですよということ。 まず,歌「チェンジ・ザ・ワールド Change the World」で導入(http://plaza.rakuten.co.jp/shineikenkngw/10009)。 "I'm so tired that I could sleep for a week."を板書し, 私は 疲れている 私は眠ることができる(くらい) 1週間 と,解説。canは『できる』で、couldは『できた』と覚えるのでは不十分で,couldは「(やろうと思えば)できる」「ありうる」と覚えよう,と伝えた。 そのあと,「時制は2つ,3つ,それとも12以上?」というクイズを出題。手を挙げてもらうと,3つ(現在時制,過去時制,未来時制)という人が多め。 ルターが言いたいのは,現在時制(説明文向き)と過去時制(物語文向き)だということ。 「未来時制」「完了時制」という用語はナンセンスで,12以上というのは述語動詞の形(verb forms)のことで,時制(tense)ではない。授業の後でMさんが質問してくれたが,現在・過去・未来という時(time)とも時制(tense)は異なる。それでも3つ,と思っている方には文科省の指導要領でご確認をいただきましょうということで,「未来表現」(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/gai.htm)って言っています,と念押しした(でも,文科省も時制と述語動詞の形を混同しているとルターは思っているよ)。 そして強調したのは,キリスト教にもカトリック,プロテスタントなど様々あるように,それぞれが信じているので,その信念を変えるのは無理であり,ルターが出来るのは,教材の整備をすることであるとお話しした。未来時制を信じているみなさんを変えることは出来ないし,そこにエネルギーを費やすのは不毛です。 ただ,音楽の長調と短調のように,時制は2つで,現在時制(説明文向き)と過去時制(物語文向き)があると設定すれば, 納得のいく解説ができるのである。 ■2002.10.04 会報担当が考える英文法(その1):時制は2つと設定することに意義がある(今回のサポーター:リクール) カテゴリ:カテゴリ未分類 時制(tense)は2つ[現在と過去]か3つ[現在と過去と未来]か?? このスタートでその人の文法観が決まるといってよいだろう。ちなみに私の師匠は「時制は3つ」と信じて疑わない人であるので、私は何度説明しようとしたことか。でも聞いてくれない。「時制は3つ」という方にぜひ読んでいただきたいです。 英語教育に関わっていらっしゃるかたなら、willの用法を「未来表現」と参考書などで見ることがあるかと思います。つまり未来時制という言葉は使われない傾向にあるのです。 また「完了時制」という言葉も(私も刷り込みで思わず使ってしまいそうになりますが)おかしな用語です。完了や進行というのはアスペクト[相]だというのが分類上はいいと思います。 時制とはなにか? 音楽で言えば、長調と短調のようなもの。「2つと設定する」からこそ、無調や転調という考え方も理解できるのです。 「時制を2つと設定する」利点 (1)「助動詞を用いる場合」と「助動詞を用いない場合」の違いが分かる すなわちwillは助動詞の体系に組み込める。 (2)「過去形」と「現在完了」の違いが分かる すなわち過去形は、過去時制で用いれば「いつどこでどうした」と物語る用法、現在時制で用いれば非現実を表わす仮定法過去。 現在完了は、現在時制で、現在を中心に〈こうなっている〉と説明する用法なので、(過去形と異なり)「いつ~したか」を物語ることはしないのでwhenやtwo days agoなどの表現とは併用されない。 英語の時制の概要 ●現在時制:説明文・会話体 ・現在を中心に〈こうなっている〉と説明する。 ・語り手と聞き手が存在する《その場》で会話されるような感覚。 ・【現在形】【現在進行形】【現在完了形】が3本柱。 ◆日本語に「 」(鍵カッコ)をつけると自然に感じる。 ●過去時制:物語文・日記体 ・〈いつどこで誰がどうした〉を物語る。 ・語り手の存在は明示されず、時間経緯に合わせて流れていく。 ・【過去形】がメイン。 ◆日本語に《いつ》(昨日、去年…)をつけると自然に感じる。 英語の時制の概要を作るに当たって参考にしたのは、フランスの哲学者リクールです。(分類は哲学者でいいのかな?) ポール・リクール/久米博 訳『時間と物語? フィクション物語における時間の統合形象化』新曜社(1988) 言語学者バンヴェニストEmile BenvenistやヴァインリヒHarald Weinrichらの諸説を取り上げて、時間とテキストの関係を考察した本。 (a) 物語:物語る-緊張緩和を時制でシグナルを送る。 話し手は介入しない。 出来事はひとりでに物語られるかのようである。 無限定過去/未完了過去/大過去 (b) 言述の時制:論評する-緊張 話し手と聞き手を想定する。 しかも、話し手は聞き手に影響を与えようとする。 ■2002.10.05 会報担当が考える英文法(その2):助動詞は2つの態度で場合分けするとよく分かる(今回のサポーター:クワァーク) 助動詞の代表格、mayの意味は?というと、「~してもよい」「~かもしれない」の2つを覚えます。mustは「~しなければならない」「~にちがいない」、canは「~できる」が有名ですが、can’tは「~できない」「~はずがない」です。 そこで、クワァークの分類に従って「助動詞は2つの態度で場合分けするとよく分かる」のルールを適用すると、 (a)コミュニケーションで用いる (b)話し手や書き手の判断 can’t 「~できない」 「~はずがない」(ありえない) may 「~してもよい」 「~かもしれない」 must 「~しなければならない」 「~にちがいない」 のように分類できます。 そこで高校生以上になると(b)話し手や書き手の判断が重要になり、 助動詞+doと助動詞+have doneの区別が出来ればセンター試験レベルは突破できます。can’tは「~はずがない」という和訳より、中間言語的ですが「ありえない」をオススメしたい。そうすると、can / could「ありうる」、can’t / couldn’t「ありえない」となり、さらに応用が利きます。 (b)話し手や書き手の判断 +know(状態動詞) +have done +be +have been can’t 「知っているはずがない」 「~したはずがない」 「~であるはずがない」 「~だったはずがない」 may 「知っているかもしれない」 「~したかもしれない」 「~であるかもしれない」 「~だったかもれない」 must 「知っているにちがいない」 「~したにちがいない」 「~であるにちがいない」 「~だったにちがいない」 中間的存在の助動詞shouldについては should 「~すべきだ」 残念「~すればよかったのに」 非難「~していて当然だ」 を覚えておけばよいでしょう。 そして仮定法の帰結節で用いられる助動詞would / might / couldでも上記の分類にwould「~だろう」/might「かもしれない」、could「ありうる」、couldn’t「ありえない」の和訳を当てれば、ほぼ助動詞の体系は網羅できたことになります。 ちなみにセンター試験の問題が以下にありますので、ご確認下さい。 ●センター00「(過去に)聞いたに違いない」「(すでに)聞いているに違いない」 What’s that song you’re listening to? You don’t know? It’s ’Yesterday’ by the Beatles. You ( ) it before. (1)hadn’t heard (2)might hear (3)must’ve heard (4)shouldn’t hear 解答は(3) ●センター94「(過去に)読んでいて当然だ」 No one was prepared for Professor Hill’s questions. I guess we ( ) the lesson last night. (1)could read (2)ought to read (3)read (4)should have read 解答は(4) ●センター01「ひどくケガしていたというのはありうる」 Jim had a skiing accident yesterday, but heユs all right. He’s lucky, because he ( ) hurt himself badly. (1)could have (2)migh (3)should (4)should will have 解答は(1) ●センター96「山田さんに会ったというのはありえない」(この設問が分かれば完璧だ!) I saw Mr. Yamada at Shinjuku Station this morning. You ( ) have. He’s still on vacation in Hawaii. (1)couldn’t (2)didn’t (3)might (4)should 解答は(1) Quirk, Randolph & Greenbaum, Sidney, A Student Grammar of the English Language, Longman, 1990 、4:21 (a) INTRINSIC modality ( permission / obligation / volition ) (b) EXTRINSIC modality ( possibility / necessity / prediction ) ■2002.10.06 会報担当が考える英文法(その3の1):述語動詞は「助動詞を使うかどうか」と「時制の違い」で場合分けするとよく分かる(今回のサポーター:クワ… タイトルでは複雑な設定ですが、実際は具体的な例文で追うと、その方法のメリットが分かってきます。ここで大切なことは「これを使うとこういう意味だが、使わないとああいう意味だ」という対比のもとで意味が確定しているということです。単独の例文で説明するのではなく、2文で比較説明して初めて理解できるということです。 「助動詞を使うかどうか」による場合分け (a)「(助動詞を使わないで)事実として述べる場合」 (b)「(助動詞を使って)判断として述べる場合」 さらに時制の違いで場合分け (a)「(助動詞を使わないで)事実として述べる場合」 ・現在時制:現在形、現在進行形、現在完了形で現在を中心に説明する ・過去時制:過去形が中心で「いつだれがどうしたか」を物語る (b)「(助動詞を使って)判断として述べる場合」 ・現在時制:助動詞は多用される。話し手の判断として述べるスタイル。 ・過去時制:助動詞は通常あまり用いないのが原則なので、助動詞を用いる場合は「いついつに」「1回」「なになにをした」とは言いたくないという何らかの意図がある。 具体例は以降にゆずる。 ■2002.10.07 会報担当が考える英文法(その3の2):(b)「(助動詞を使って)判断として述べる場合」の過去時制[例1:過去時制のcouldは「実際に~できた」の意味が通常は… 今回は(b)「(助動詞を使って)判断として述べる場合」の過去時制を取り上げます。過去時制では助動詞は通常あまり用いないのが原則なので、助動詞を用いる場合は「いついつに」「1回」「なになにをした」とは言いたくないという何らかの意図があると昨日説明しました。 例1:過去時制のcouldは「実際に~できた」の意味が通常はない。 過去時制におけるcouldは「実際に~できた」の意味が通常はないというのは、大学入試にもこの数年取り上げられています。辞書では『ジーニアス』『プログレッシヴ』のcouldにも載っていますが、この語法が普及したのは近年のことだと思います。 すなわち、couldには能力やその場の知覚において「できた」という意味で、行為の達成は意味しないということである。行為の達成は、was able to do / managed to do / succeeded in doingとふつうの過去形が担当する。 couldを使わない場合4通り=行為の達成 過去に「(実際に)~できた」を表わす場合:「昨年富士山に登ることができた」 ・過去形「~した」と表現:I climbed Mt Fuji last year. 登った ・was/were able to:I was able to climb Mt Fuji last year. 登ることができた ・managed to do:I managed to climb Mt Fuji last year. なんとかして登った ・succeeded in doing:I succeeded in climbing Mt Fuji last year. 登るのに成功した couldを使う場合2通り=行為の達成ではなく、能力や知覚 ・「見えていた」「聞こえていた」などのその場での知覚 I could hear him. (*I was hearingとは言わない)「(その場で)彼の話が聞こえていた」 ・能力として「(やろうと思えば)~できた」 She could play the piano when she was five. 「(能力として)5歳でピアノが弾けた」 『canの意味は「できる」、couldの意味は「できた」である』と信じて疑わないのは学習者だけでなく、指導する側にも根強いのではないでしょうか? 悲しい現実。大学で教えてくださった伊丹レイ子教授が『canの意味は「できる」、couldの意味は「(やろうと思えば)できる」と覚えておくといい』とおっしゃったのを聞いて、私は目から鱗が落ちました。ありがとう、伊丹教授。 ■2002.12.02 会報担当が考える英文法(その4):冠詞「クジラは哺乳類だ」 「AはBである」と定義する文では、主語の設け方に関して冠詞の使い分けがかかわっ てきますが、抽象名詞の場合は無冠詞単数形で扱うというのは皆さんのあいだで納得 が得られやすいと思います。 一方、数えられる名詞、例えばwhaleを用いて「クジラは哺乳類である(魚ではな い)」と定義する文の場合、以下の3通り考えられます。 (1) Whales are mammals, not fish. (2) The whale is a mammal, not a fish. (3) A whale is a mammal, not a fish. さてそれぞれの違いはどこにあるのでしょうか? 「The blue whale is the world’s largest living animal.と辞典にある」「 『クジラの公式』はA whale is no more a fish than a horse is.だ」「Whales…が よさそうだが…」と議論は尽きない中、私の考える仮説「冠詞の3本柱」(「無冠詞」 「a / an / some」「the」)を適用して「けり」をつけたい! (1) 【無冠詞】「コトバの対比」「並列」が持ち味。説明文向き。 話題を並列的に取り上げる「対句の無冠詞」 話題を対比的・並列的に取り上げるので、無冠詞は「対句」「説明」に向いている。 「芸術は長く、人生は短し」「愚者は突進する…、天使は踏み入るのを恐れるところ に」のように2つの話題を対句的に述べる一般論、決めゼリフ向き。 ・数えられない名詞(抽象名詞)では単数形 ┌ Art is long,(芸術) └ life is short(人生) ・数えられる名詞(普通名詞)では複数形 ┌ Fools rush in(愚者) └ where angels fear to tread.(天使) (2) 【a / an / some】「対比を避ける」「イメージを喚起」「具体性」が持ち 味。物語文向き。 Picture Dictionary的「辞書の定義a / an」 絵の付いた子ども向きのABC辞書のイメージ。 定義文ではtheや無冠詞と比べるとやや特殊。 (3) 【the】「その場」「直列」が持ち味。 話題を直列的に取り上げる「学術論文のthe」 無冠詞を用いた並列的な話題の取り上げ方と異なり、theはその話題だけを直列的 に進めていくので学術論文や書き言葉での定義に向いている。 結論としては、(1)Whales are mammals, not fish.が日常の場面で最も多用され てしかるべきなのに、日本では場面・文脈に関係なく(2)(3)が多用されており 無冠詞の理解を促進したいと願っている私です。(仮説です。乞うご教示!) ■2002.12.03 会報担当が考える英文法(その5):冠詞「昨日図書館に本を借りに行った」 ●使い分けで分かる冠詞の仕組み 「昨日図書館に本を借りに行った」を英作文するとき、以下のように悩むことはありませんか。 「本」はbooks / a book / some booksのどれ? (a) Yesterday, I went to the library to borrow books. (b) Yesterday, I went to the library to borrow a book. (c) Yesterday, I went to the library to borrow some books. 「図書館」はthe library / a libraryのどっち? (a) Yesterday, I went to the library .... (b) Yesterday, I went to a library .... ??の使い分け:「昨日図書館に本を借りに行った」という文で考えてみると… Yesterday, I went to the library to borrow ┌ books. 本 ├ CDs. CD └ magazines. 雑誌 物語文や日記文では「対比の無冠詞」で(CDや雑誌ではなく)「本(!)を借りたんだ」のように種類の違いを対比的に説明すると、聞き手には強く聞こえて違和感を覚える。そこで「対比を避けるa / an / some」を使い、並列関係にある他のメンバー[例えば図書館で本の他に貸してもらえるCDや雑誌]を連想させない言い方をする。 Yesterday, I went to the library to borrow a book ノ. 本(どんな本?) a book on science.本(1冊) some books.(数冊!) 対比を防ぐa / anの注意点:a bookノ「(1冊の)本」とだけ聞くと、聞き手は「具体的にどんな本なのかな?」と気になる。そこでa book on science(科学に関する本)、a book by William Saroyan(W・サローヤンの本)のように、「a / an+名詞+後置修飾」で説明すると文章として安定する。a / anは説明を予告・要求する機能があると言える。 他もあると暗示し「ノイズになるa / an / some」と言える。 (2)(3)の使い分け:「昨日図書館に本を借りに行った」という文で考えてみると… Yesterday, I went to a(↑)libraryノと聞くと、「one of the libraries(他にも図書館があるんだ!)」または「a libraryノ(って、どんな図書館?)」と聞き手は解釈し、気になる。つまり話題の流れを遮るという意味で文脈からポコッと浮いている[=上方向の矢印]。話題の焦点が後半にある場合、意識が分散し、ノイズ[雑音]になってしまう。 一方、Yesterday, I went to the(→) libraryノと聞くと、aと異なり、聞き手は意識が分散せず、さーっと通り過ぎられる。文脈から浮かない[=右方向の矢印]ので気にならない、故に「ノイズにならないthe」と言える。 (中学生の頃はYesterday I went to the libraryノとtheが自然に使えていた生徒。高校生になって英作文する際や、社会人になって久しぶりに英文に接すると「aかな、theかな?」と悩み始める。そういうときこそ、冠詞を徹底して覚えるときである。理論的にはこういう説明になるが、いずれにしろ、物語文/説明文の区別がはっきりした文脈設定のある、よい例文を読むことである。) ■2002.12.04 ルターの冒険:その1「冒険の前にチャレンジ」 まず以下の英作文にチャレンジしてみてください。 Q1:「お水下さい」(友人の家などで頼む場面) Q2:「イヌが好き」(友人とペットの話題になって) Q3:「クジラは哺乳類だ」(友人と動物の話題になって) 思い浮かばない方は以下に回答例がありますので、選んでください。 必ず一つ正解がありますが、二つ以上ある場合もあります。 Q1:「お水下さい」(友人の家などで頼む場面) A1: Give me some water. A2: Give me water. A3: Water, please. Q2:「イヌが好き」(友人とペットの話題になって) A1: I like a dog. A2: I like dogs. A3: I like the dog. Q3: 「クジラは哺乳類だ」(友人と動物の話題になって) A1: Whales are mammals. A2: The whale is a mammal. A3: A whale is a mammal. 解説 Q1:「お水下さい」と英語で言ってみてください。 A1:Give me some water. A2:Give me water. A3:Water, please. (Please ノ / ノ, please. / Will you please ノ? / Would you ノ?などをつけると丁寧になる) A1のようにsomeが無意識に入った、という方。すばらしい! でもそういう人が日本にはかなり少ないというのが日本の英語教育の問題点だと感じています。これではsomeがかわいそうです。 あなたは私立の中学高校で『プログレス』を学習していませんでしたか? プログレス学習者が無意識に出来ることが、公立中学高校の文部省検定教科書学習者にはできない。これは結構多い。この違いはどこにあるのか。そしてどうしてそうなってしまうのか? 「someがなくても、waterで意味は通じる。英語は単語を知っていればいいんだ」という考え方もあります。しかしながら、せっかく英語という他言語を学んでいるのですから、英語のスタイルを尊重してもいいのではないでしょうか。 日本語で水が欲しいという状況で前提もなく唐突に「(他のものではなく)水が欲しい」と言ったら違和感ありますね。そうなのです、このsomeは日本語なら会話で重要な「てにをは」の助詞に当たる機能を持っているのです。 ■2002.12.05 ルターの冒険:その2「なぜルターは冒険に出かけるのか」 日本の学校英語教育のなかで理解されずイジメに遭っているかわいそうな「英文法」。そんな英文法の代弁をしたいと思います。英文法はお人好しでじっと我慢しているものだから、これまでにさまざまな困難に遭っています。「日本人が英語で会話できないのはお前のせいだ」とばかりに非難されています。そんな昨今ですから、もちろん英文法だけの文部科学省検定教科書は存在しません。それどころか学習指導要領からはずされ、さまざまな活動の中で学ぶこととされています。高校の現場では、それではやっていけないので、英語で話す聞くを中心とした「オーラルコミュニケーション」の時間に隠れて、問題集や参考書を使ってコソコソ学習させている。でも、こんな文法軽視の時代はもうすぐ終わります。どう考えても英会話にも、英作文にも、英文法が必要なのですし、それを教える義務は中学や高校の学校現場にあるのです。 近い将来きっと、これまでの日本が学習してきた「読解のための英文法」とこれから必要になる「英会話や英作文のための英文法」の二本立ての時代が到来します。そして文部科学省認定の『英文法』教科書ができる日が来るでしょう。でも旧態依然としてものではなりません。みんながナルホドと納得できるあたらしい英文法の本でなくてはなりません。その日を待っているのが、この「ルターの冒険」の主人公、ルターなのです。ルターといっしょに冒険の旅に出ましょう。 註1)ルターについて:世界史の授業で必ずお目にかかるマルティン・ルター。1517年10月31日ドイツのウィッテンベルクの扉に「95カ条の論題」と題した文書を貼りだし、カトリック教会の免罪符販売に対しておかしいぞと警鐘を鳴らしました。この本のルターは21世紀のルターです |